北海道の巻(5)

1986年8月

第6日

ブルブル震えるほど冷え込んだのだが、日が出ると気温も上昇し、夏らしい朝になった。空気はからっとしていて、湿っぽさは全く無い。気持ちがいい朝だ。朝の簡単な食事をしている間に寝袋とテントの夜露はすっかりと乾いた。

いつものように、まわりの人達がようやく起き出し食事の支度をする頃、キャンプ場を後にする。旭川の街に出て、一路北に向かう。宗谷本線沿いの40号線だ。周りの景色が北海道だ。家々の造りが違う。あまり交通量は無く、のんびり走る。信号が少ないからどんどん距離が伸びる。街から街へと移動する間は何も無い。音威子府村で左折し、手塩川沿いで、あまりの暑さの為一休みした。

喉が渇く。ツーリングの時の必需品に水がある。常に携帯したほうが良い。僕の場合は、飲料用に500ミリリットルのポリタンクを携帯している。これが水筒だ。なにしろ安い。朝、水場でこれに粉末のポカリスウエットを溶かして準備する。粉末だと、軽いし、水はその都度調達できるので、この方式がべんりなのだ。もちろん、冷えたものは期待できない。平地を走るときなら、大抵街の自動販売機で冷たい物を買えるが、いつもそうだとは限らないのだから。

手塩山地と北見山地の間を流れる手塩川はやがて手塩平野に流れ込む。その辺りから風が出てきた。遮ってくれていた手塩山地の山陰がが無くなって、日本海から吹き込む風を遮るものが無くなったのだ。空も曇ってきた。

「さいはて」そんな言葉が浮かんでくる。いや、まだまだ、最北端までは遠いのだが、この風景が、僕の心をひどくさびしくさせているのだ。

豊富町というところで左折して「サロベツ原生花園」によってみる。

サロベツ原野は憧れの地であった。なるほど、何も無い。360度、ぐるっと見渡しても何も見えない。一瞬、広場恐怖症に襲われる。ほどなく、小さな建物が見えてきて、バイクを止めた。

田んぼのあぜ道のようなところをぐるっと廻って見学できるようになっている。途中で同じようにバイク・ツーリングの若者と一緒になった。横浜から来たY君である。さらに、一人旅の女子大生S子さんとも仲間になり、ぐるっとまわって、建物の中にある食堂では「はまなすラーメン」を食べた。Y君は写真学校の生徒で夏休みの課題制作の為かなりたくさん撮っている。S子さんは、茨城県から夏休みのアルバイト先を北海道に求めて、そこへ移動する途中とのこと。

それじゃまたどこかで、と別れた。

ここから先は舗装されてないので、オフロード車には有利である。Y君より先に行って写真を撮ってたら、追い付いてきて目の前でドテッと転んでしまった。砂利道の止まり方はコツがあるのだ。僕がバイクに乗り始めた頃は逆に舗装道路の方が珍しかったのだから、こちらは年季が入っている。

稚内のキャンプ場でうまくいったら会おうと言って、一旦ここで別れた。

すごい景色である。大きな木は一本も無い。ほとんど草ばかりしか生えていない。曇っていて、西側に見えるはずの利尻島は見えなかった。残念!

稚内のノシャップ岬では観光客が集まっていた。自分を一枚撮ってもらった。

稚内のキャンプ場は市を見下ろす丘の上にある。丘の上には大きなレーダー・サイトのようなものがあった。国境である。

テントを張ったら。Y君がやってきた。Y君はテントは持ってるが、あくまでの非常用ということで、火器は持っていない。またまた先日の洞爺湖の時のように、僕が夕飯を作ることになった。

この下の街で銭湯をみつけたと言うので、入りに行った。久しぶりの風呂でご機嫌である。帰りに夕飯のおかずとビールを仕入れてきた。テントに戻って食事をし、ビールを飲んでたら、風がどんどん強くなってきた。

深夜ますます強くなるので、起きてテントを側の低い高山植物の松に縛った。いつもはこんな必要はないので、ペグを持ってないのだ。

前ページへ | 次ページへ