ロンのページ

ロンとの出会い

ロンはこのマンションに住み着いている野良猫でした。僕がこのマンションに引っ越して来たのが92年の12月です。いつごろから住み着いていたのかはわかりません。近所の人の話では、元々このマンションの誰かに飼われていたのが、引越しで捨てられたのではといううわさでした。

94年のある冬の夜、僕がハーレーで帰って来たときに階段の下に居たのです。僕が階段に近づいたら逃げようとしました。

「だいじょうぶ、こわくないよ。」と声をかけると立ち止まって振り返りました。僕は大抵の猫や犬とは会話が出来るのです。人間に好意を持っている動物は人間が話し掛けるとちゃんと聞き耳を立てます。言語でのコミュニケーションという意味での会話ではなく、音声の大小、抑揚や身振り、心臓の音、アドレナリンの匂いなどで、哺乳動物同士は交信出来るように思います。

そんな風にして何度か夜に出会うようになりました。

その冬は12月の30日まで仕事があり、31日の大晦日はぐっすりと寝て昼近くに目を覚ましました。ベランダをふと見ると、なんとそこにネコがいるではありませんか!どうやって二階まで上がって来たんだろう?と疑問がよぎりましたが、そんなことよりも僕の部屋をちゃんとわかって訪ねて来たんだという思いでうれしい気持ちの方が勝っていました。ガラス戸を開けて、「おはよう!よくここがわかったね。」と声をかけました。

それから、ずっと一緒に暮らす事になりました。ロンという名は以前に田舎の家で飼っていた猫の名をそのまま付けたものでした。

ロンとの暮らし

ロンが来てからというもの生活がすっかり変わりました。

まず、できるだけ早く帰るようになったことです。どうしても仕事で遅くはなりますが、以前のように道草をしないでまっすぐに帰るようになりました。それから外泊をめったにしなくなったことです。帰省も2泊まででなるべく早く帰って来ます。研究会の合宿があっても一目散に帰って来ます。バイクツーリングには行っていません。

玄関のドアを開けると奥のほうから飛び出して迎えてくれます。時には部屋から出て外で待っている事もありました。ベランダへの出入りは自由にしていましたから、近所に散歩に出かけてのびのびと暮らしている様子でした。雨の時や雪の日はずっと部屋の中にいました。

食べ物はもっぱら缶詰です。しかも銘柄が指定されていて決まったものしか食べません。他のものは口をつけません。買いだめして置いたものが無くなると夜中や朝にコンビニに買い出しに行きました。品切れしていると自転車で数件捜しまわらなければなりません。

猫も食べ物だけで生きているのでは無いのです。ときどきだっこして欲しいと言います。だっこしてぬくもりと心臓の鼓動を感じることが必要なのです。朝の出掛けにしっかり抱き着いたまま離れないときはけっこう大変です。自分が満足しないとイヤイヤして離れたがりません。

 いつも帰りを待っていたロン

後記

僕は田舎で育ちました。幼い頃一番の友達はなんと牛だったのです。父親にしかられると牛小屋に行って牛に抱きついて泣いてました。するとぺろぺろと顔をなめてくれるんです。畜産ではなく農耕用の牛でしたから、牛も一緒に働く家族の一員でした。田んぼでは子供の僕が牛を牽いて父が後ろで馬耕などを操作します。子供の僕が力で牛に言うことをきかせる訳にはいきません。でもちゃんと言葉が通じるので何の不自由もなく仕事ができました。休憩のときはみんなと同じようにならんで寝ころびます。夕方には川で汚れをきれいに洗ってあげました。中学三年まで牛の世話は僕の仕事でした。その後、耕耘機の時代になってしまい、そのようなことも無くなってしまいました。

20代から30代にかけて田舎の家では犬と猫が同居してましたが、まだ犬を繋いではいませんでした。屋敷内でやる農作業の時、ふと気付くと犬と猫がすこし放れたところに並んで見てます。いつも一緒にいました。家族みんなで出かける時には、二匹ならんで玄関で見送りしてくれました。その後、茶の間に入り帰宅まで仲良く待ってます。なにしろ玄関の鍵なんてありません。近所の人が入ってくると犬と猫が茶の間にいるのを見て、ああ留守なんだなと思うだけです。

今ではそんな楽園のような動物と人との関係も崩れてしまいました。犬や猫のことをペット・愛玩動物として、人と切り離した関係に置いた事によります。これは西欧的というかキリスト教的な考え方が根本にあります。人は神が自信に似せて作った物であり、万物の頂上に位置するものだという考え方です。それとはまったく違った考え方、人と動物を区別しない考え方、それを日本人は長い間引き継いできました。江戸時代に西欧から来た人たちが残した記録(大君の都等々)にもその驚きが書かれてましたが、それは田舎ではまだつい最近まで残っていたのです。