4.イナゴ捕り
昭和四十年代前半、僕は小学校高学年でした。そのころの秋の思い出といえば「イナゴ捕り」です。
さわやかに晴れた秋の朝、教室で出欠をとると五年生六年生は校庭に集まります。各自、帽子をかぶり長靴を履いています。そのころはまだ後にジャージと呼ばれる運動着はありませんでしたから、服装は汚れてもいいもの、といってもいつもと同じ普段着です。そして手には同じような形のイナゴ捕り道具を持っています。これは正確には捕るための道具ではなく、捕ったイナゴを持ち歩く袋のようなものです。
これの作り方を簡単に説明しましょう。青竹を長さ20cmぐらいに切りますが、その時三分の一程度のところに節がくるようにします。手ぬぐいを二つに折り、袋状に三辺を縫います。タオルなんて見たことも無く手ぬぐいと言えば木綿の手ぬぐいです。顔を洗ったり汗を拭いたりするために毎日の生活の必需品で、たいていの男は腰のベルトにさしてぶら下げていたものです。出来た袋の口の部分をこの節に合わせて紐できつくしばります。竹筒からイナゴを入れ、袋にたくさん溜まって重くなっても竹筒から抜け落ちないようにと、竹の節の突起を利用するわけです。これは各自が家で作って来るようにと言い渡される宿題のようなものです。でも全員が自分で作れるわけではなく、大抵は親に作ってもらっているのが実情でした。
もうひとつ重要な持ち物は腰に巻いた風呂敷に包んだおにぎりと肩ににたすきがけに背負った水筒です。なにしろこれから数日間は授業はしないで、田んぼの中を一日中歩きまわってイナゴ捕りをするのですから。
校庭での当日の予定の確認も早々にして、隊列を組んで学校のある丘の下に広がる田園地帯へと急ぎます。まだ朝露に濡れて活動が活発にならないうちが、捕り易いのです。大体、組毎に領域を割り当てられ、横一列になって田んぼの中に入ります。そうすると、いますいます。緑色した稲の葉にすがってじっとしてます。近づくと跳び上がりますが、それを見越して手のひらで包み込んで捕まえます。右手で捕まえて、左手で持った竹の筒に逃がさないように上手にイナゴを閉じ込めます。手で蓋をしていないと、じりじりとよじ登って逃げられますから、充分に注意します。慣れてくるとおもしろいように、たくさん捕れます。同時に二匹や三匹採ることもあります。
しかし、それもつかの間、太陽が高くなるにつれ活動も活発になりますから、とたんに捕まえる確率は下がって来ます。後はひたすら歩いて、捜して手を伸ばして掴んでの繰り返しです。午前中で袋は半分以上一杯になります。だんだん重くなってくると、達成感が出てきて、ますますやる気になりますが、田んぼのあぜ道にみんなで座っておにぎりを食べるのも楽しいものです。
午後はかなりしんどいです。日差しで疲れも増します。それでもひたすら捕ります。歩く距離も相当なものですが、おしゃべりも楽しみです。日ごろ教室ではあまり会話を交わさない者同士でも、こういうときは話がはずみます。内容なんてなんでも良くて、たわいもない話でわいわいと騒ぎながら進みます。夕方までには袋は三キログラム程の重さになります。学校に持ち帰って、全員分を集め、先生たちが計量し、本日の成果を発表します。疲れてもなんだかみんな満足そうな顔をしています。
日曜日だって遊んではいられません。そうそう、そのころは土曜日も休みではありませんでした。宿題はやはりイナゴ捕りですから。月曜日にどれだけ多く持っていけるかが勝負どころとなるので、早朝から田んぼに繰り出します。早朝は羽が濡れてますから、あまり跳べません。面白いように収穫があがります。5キログラムも捕るつわものも出てくるわけです。
ところで、なぜ授業もしないで毎日こんなことをしてたのかと言うと、それは図書館の本を買う為なんです。今では考えられない程、町の財政は貧しかったので、充分な教育予算が取れなかった時代です。誰も文句を言う子供も親もいませんでした。自分たちの本を自分たちで稼いで買うなんて全く当たり前の事でしたから。
そうやって買った図書館の本ですから、卒業までにあらかた読んでしまいました。学校から歩いて一時間以上もかかりましたから、家に着くまでに一冊読んでしまいます。まだほとんど自動車は走っていませんので、交通事故の心配はありません。とは言ってもたった一度だけバイクに引っかけられたことがありました。田んぼの中の一本道で、深い轍の溝を走るバイクは避ける事も出来ず、こちらが避けるだろうと突っ込んできたのでしたが、読書に夢中の僕はハンドルが触れるまで気付きませんでした。幸い双方とも転ぶことも無く、バイクは振り返ることも無く走り去って行きました。のどかな時代でした。
2006年6月24日記