5.蒸気機関車

昨今はSLブームと言って蒸気機関車が大人気です。とくにD51型がもてはやされているようですが、製造数が一番多かったために解体されず残っていたものが多かったせいでもあるでしょう。道路インフラが未整備で鉄道による貨物輸送機関車として使われていた頃よりも目立っているのは、なんだかおもばゆい感じかもしれません。僕がよく乗っていたのはC58型でした。

C58
C58型蒸気機関車(宮城県古川高等学校の卒業アルバムから)

生まれたときから東北本線の踏切を日常的に往復していた昭和29年生まれの僕にとっては、蒸気機関車は身近な存在であり特に珍しい物ではありませんでした。今では電車という言葉を当たり前に使っていますが、子供の頃はまだ東北本線は電化されていなかったので、汽車と気動車が走っていました。汽車は蒸気機関車の事ですが、気動車というのはディーゼル機関車の事です。とは言っても、汽車に乗るという場合はどちらも含めていました。機関車が何かというよりも乗るのは客車ですから。

その客車もまだ木製でした。木製の客車にはデッキがありました。今でも新幹線には付いてますね。


小学生時代、汽車に乗るのは夏休みと冬休みに母の実家に行くときです。瀬峰駅から石越駅までわずかな距離ですが、これは非日常的な体験であり、弟と2人だけの時はもう極度に緊張していたものです。

途中にトンネルがあります。蒸気機関車は蒸気を作るために石炭でお湯を沸かすから煙をもくもと吐きます。トンネルだとこの煙が窓から入ってくるんです。煙と言っても燃えかすの黒い粒も混じっていますから、服が汚れたりします。夏は冷房などなくて窓を開けていますがトンネルに入るとあわてて窓を閉めます。

小学校の高学年になって東北本線の電化事業もいよいよ町にやってきました。父も農業のかたわらそこで働いていたので工事の様子を見に行ったものです。2万ボルトの電線が身近に来るのですから、小学校でも、泉谷の鉄道愛護子供会でも何度も安全教育を受けました。



毎朝起こしてくれたトラの肖像(油絵)

中学を卒業すると父の後を継いで農業をする予定だったのですが、先生の薦めで古川市にある宮城県古川高等学校に行きました。かなり遠くて学区が違うので、いわゆる越境入学でした。

冬の朝、猫の「トラ」に起こされて目が覚めます。トラは中学3年の夏休みに近所から貰ってきたときから、座敷の縁側に置いた机で勉強していた僕と離れずなついていたのです。トラは母と一緒に起きるのですが、6時になると僕の布団に来てやさしく起こすんです。

6時半に自転車で駅に向かい、6時50分発のディゼルカーに乗ります。ディゼルカーというのはディーゼル発動機が客車の下に設置された列車です。電車のモーターの部分がディーゼル発動機になっているものです。電化されたのになぜと思うでしょうね。陸前古川駅には途中の小牛田駅かで陸羽東線に乗り換えるのですが、これは電化されていなかったのです。この6時50分発の列車は陸羽東線直通、つまり乗り換え無しで古川まで行けるので便利なんです。しかも朝早いので空いているから必ず座れます。新田駅から乗っている2人の同級生が既に教科書や問題集を開いてます。瀬峰駅では南方中学校からの2人と瀬峰からの2人、合わせて6人になり朝の勉強会となるわけです。

小牛田駅で進行方向が逆になって陸羽東線に入り陸前古川駅に向かいます。乗り換え時間が無駄にならず、たっぷりと予習が出来ます。

ところが、ひとつ遅れて瀬峰駅発7時19分となると、そうはいきません。まず乗客がいっぱいで座ることはできません。小牛田駅で階段を上り下りして別のホームに行き、蒸気機関車が牽引する木造客車に乗り換えなければならないのです。この段階ではぎゅうぎゅう詰めとなってしまい、教科書を開くことなんか出来ません。

蒸気機関車ですから、のろのろと走ります。外を見ると田んぼの雪の中に三脚を構えて撮影している人がぽつりぽつりと見えます。運転手はサービスで警笛を鳴らします。こんな寒い中で汽車を撮ってるなんて物好きだなぁと思ってました。


大雪ともなるとさずがに交通機関がみだれるので授業が早く終わります。ところが駅に行っても3時間遅れだったりして汽車が来ません。山形県新庄から奥羽山脈の山越えのために除雪に時間がかかるのです。待合室も一杯なので本屋さんに行って立ち読みして時間をつぶしました。当時の高校生は喫茶店に入るなんて考えもつかず、もちろん小遣いも持っていませんでしたけどね。これじゃあ授業が早く終わる必要なんてないなぁと思ってました。


古川高校の定期試験は三日間ですが、間に休日がある場合でも連続して行います。たとえば金土日というようにです。休日はいつもの陸羽東線直通のディゼルカーは運休ですから、小牛田駅で蒸気機関車に乗り換えます。

そんな休日試験の朝、小牛田駅で乗り換えて出発を待っていたのですが、なかなか動きません。しばらくして放送があり、機関車の氷がなかなか溶けなくてお湯が沸かないというのです。休日なので座れはしても、時間が気になって仕方ありません。そうしたところ、ちょうど小牛田に住んでいる先生が乗り合わせていて学校に連絡し、試験が一時間遅れることになったのでした。まことにのんびりとした話です。


その後、教育実習で二週間通いましたが、既に蒸気機関車は引退していました。


陸羽東線は未だに単線で電化されていません。このあたりはひとり一台プラス軽トラックというくらいのクルマ社会ですから乗客があまりいません。でも雪の中の鳴子温泉旅行なんか風情があっていいものです。

2013年2月11日記