北海道の巻(6)

1986年8月

第7日

背の高い木がまったくない丘の上を日本海からの風がオホーツク海に轟々と吹き荒れ、テントを吹き飛ばされるのではとの思いで一夜を過ごした。なんとか風が収まり夜が明けてきた。ようやくぐっすり眠れる状況になったけど、こんなところで寝てはいられない。とにかく起きて支度しなくちゃ。

大きなキャンプ場は設備がそろっていて気持ちが良い。トイレもきれいだし、虫がいない。内地のように暑くないので虫も出てこないのかな?

顔を洗ってトイレを済ましたところで雨が降ってきた。あわててテントにもどり荷物をまとめ、テントをたたんだ。炊事場の屋根の下にみんな集まって雨宿りしたが、どうにも止みそうに無い。Y君と相談して、どうせ休むなら稚内駅まで行って待合室に座って休もうということになった。雨の中を稚内駅まで下った。

果たして、待合室は?なんて物ではない。だいたい待合室に入るのさえままならないほど、カニ族であふれている。なんだこりゃ?床という床には若い男女がごろごろころがっている。なんとか誰の顔も踏まずに空いてるベンチにたどり着けた。ここで朝食。

しばらく休んだがどうにもこの土砂降りは止まないので、このまま宗谷岬まで走ることにした。道路が川のようである。どっちがどっちかわからないのに、なんとか走って、宗谷岬に着いたとたんに雨が止んだ。

宗谷岬:現在日本最北端の地

間宮林蔵はすごい男だ

とりあえず、カッパを着たまま記念撮影をした。この宗谷海峡の向こうは樺太である。雨の為まったく何も見えないが。

カッパを脱いで出発。オホーツク海を左に見てどんどん南下する。まだ風は強く、小石まで吹き飛ばしてくる。顔に当たって痛い。札幌でゴーグルを買い換えて良かった。でも、北海道を走るならジェット型ヘルメットにゴーグルではちょっと辛い。今ならシールド付きのジェット型があるから良いけど、あのころは他の選択としては、フル・フェイス型しか無かったから、仕方がなかった。

神威岬で休憩。トイレに「バイク・ライダー無料の宿」というチラシが置いてあった。銭湯を夜間、内地からの蜜蜂族に無料開放してるらしい。風景は荒々しかったりするのだが、人々はとっても暖かい。すれ違うダンプ・カーの運転手は皆にこにこして手を振ってくれる。こちらは寒くてガタガタ震えてハンドルを握っているのだが、思わず手を振り返す。

浜頓別のクッチャロ湖に寄ってみた。あれ?なんと昨日サロベツ原野で会った女子大生Sさんである。なんでこんなとこに居るの?

ということで、再会の記念撮影をしました。この先、美幌駅前の民宿でアルバイトすることになってると言う。僕も美幌で音信不通になっている大場君を捜すことになってるので、その民宿で会えるかもねと・・・。

街と街の間には何も無い。ぐんぐん丘を上っていたら、エンジンがプスンプスン、あっガス欠だ!すぐに燃料コックを予備に切り替える。頂上まで登りきって一安心、あとは下りだ。もっとも街はまったく見えてこない。ちょっと不安になったころ、ようやく街にさしかかり、ガソリン・スタンドに滑り込んだ。

一日中、単調な道路を走って疲れたが、北海道の雄大な景色はそれも忘れさせる。コムケ湖の近くにキャンプ場があった。今夜はここに泊りだ。テントを張ってから、ビールの調達に出かけたが、ようやく見つけた商店には酒が無かった。ここから20kmほど紋別まで戻らないと無いらしい。

それにしても、このあたりの森林の中に突然現れる線路や、開拓時代そのもののような集落の様子は、なんだか夢の中のようで、こころに残る風景である。

ビールが無くてはテント生活は出来ない。Y君がかっとんで買ってくるというので、僕は食事を作ることにした。

テントはフカフカの草の上で、ほんとに気持ちが良い。北海道のキャンプ場は快適である。なにしろ広い。

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