北海道の巻(8)
1986年8月
第9日
いつものキャンプ場での草のベッドと比べると畳に布団という豪華な環境での睡眠はまったく快適そのものであった。
明け方に下で何やら人声がしていた。起きてみたら、アルバイトにあのS子さんが来ていた。今朝到着したのだった。朝食をとり、しばらく話をして出発した。
今日は夕方に大場の実家に本屋さんに戻ってきて、その後大場の家に行くことになっている。朝の出発のときにその夜のねぐらが決まってるということは、なんて安心なことだろう。
美幌峠を登って行くと周りがだんだん霧で見えなくなり、峠のドライブ・インからはまったく何も見えない。先が思いやられる。屈斜路湖まで降りると晴れており爽快に走れる。屈斜路湖を半周して川湯温泉にさしかかった。ちょうど共同浴場が見つかったので、朝風呂をしゃれ込む。朝一番だというのに、けっこう利用客は居るようだ。地元のおじいさんと話をしながらのんびりして出発。
摩周湖の入り口に着いたときには数メートル先しか見えない状態の霧に包まれてしまった。灰色の霧の中に対向車のライトのぼんやりとした白い光が浮かぶ。前を行く車の赤い尾灯だけが頼りというなさけないような走り方でようやく摩周湖まで辿り着いたのだが、当然どこが摩周湖やらさっぱり見えない。前回ここに来たのは浩浩2年生の修学旅行の時だった。あの時も同じような状態で、さっぱり何も見えなかった。とにかく寒くてたまらず、あったかい味噌おでんや、焼きイカで暖を取り、セーターを着込んで先に進むことにした。
弟子屈町に降りてきたら、空はどんよりとしていて、気分まで暗くなって来る。そろそろ昼だけど何か食べようかな?と思いつつ走る。知らない土地でうまいものにありつく確立たるや微々たるもので、適当な食堂など見つけても、もうちょっと行ってみようかなどと優柔不断なものだから、結局はありきたりのものしか食べられないことになる。いつのまにか町外れまで来ており、最後に見つけた食堂でうどんを食べた。
阿寒湖に向かう。雄阿寒岳のふもとを登って行くのだか、北海道の峠はどこもすいすい走れる。くねくねしていなくて、スピードが出せるのでついついオーバースピード気味になってしまう。そのせいで本州を走るよりも燃費が悪い。
阿寒湖に着いた。大きな駐車場がありバイクを無料で止めさせてもらった。せっかくの温泉街だからと、いつも簡単に取り出せるようになっている入浴セットの袋を持って街に繰り出す。大きなホテルに入って行って、入浴だけできませんか?と頼んだが断られてしまった。やはり足で捜すしかない。ぶらぶら歩いてたら共同浴場の案内板を見つけた。本日2回目である。温泉はいいねぇ!極楽極楽。
風呂上がりに、ちょっとコーヒーでも飲もうか、などどしゃれたことをしたのがいけなかった。 いきなり土砂降りの雨が降ってきたのだ。あわててバイクにもどりカッパを取り出し、目に付いた建物の中に飛び込んだ。ここの観光案内所だった。続いて10人ぐらい飛び込んできた。ものすごい土砂降りである。一歩も外に出られない程だ。にわか雨だろうから、ちょっと待てば大丈夫だろう。
どうやらにわか雨ではないらしく、雨脚は少し弱まっては来たものの一向に止む気配はない。なにしろ四方を山に囲まれた湖である。ほとんど空が見えないのだ。
しかたなくカッパを着て出かけることにした。少し登って峠を越えたらあとは美幌町までまっすぐ下るだけである。途中でガソリンを補給し、そのままスタンドで待っていたら、ようやく小雨になってきた。地元の農家の人達の会話を横で聞いてたら、この土地で農業をやってゆく厳しさが伝わってきた。8月の後半だが、もう冬支度である。
なんとか、暗くなる前に大場の実家に到着し、閉店後、隣町女満別町の大場の家に移動した。奥さんが待ってて豪華な夕食となった。ようやくのことで、お互いのこれまでのいきさつがわかったのだった。