北海道の巻(11) 最終回
1986年8月
第14日
札幌を出発し、定山渓・中山峠を越えて長万部に着いたらもう昼だった。ドライブ・インで昼食をとり、北檜山町の叔父に電話をした。父の弟である。僕が中学2年のときに父と一緒に訪ねたことがある。もう18年も経っていた。あれから転居していたので、電話で道順を聞いてみたのであるが、50Km離れたところまで、ちょうど1時間でまったく迷わずに着いた。途中80Km/hで走ってたらパトカーに追い越されてしまった。
その夜は叔父と飲んだ。
第15日
朝起きたら、脚が痒い、どうやら昨夜の「あわび」にあたったらしい。ジンマシンである。病院に行く暇は無いので、そのまま出発することにした。あいにく、土砂降りの雨である。待っても上がりそうに無いので、函館に向けてかまわず走り出す。
今日は日本海沿いのコースである。冷たい雨の中では日本海の荒波が恐く感じる。途中のバス停で小休止。またまた、このバイクのクセである、雨だとエンジンが止まるという現象が出てきた。走っている間はいいのだが、一度止まるとエンジンがかからなくなってしまう。いくらキックしてもかからない。ちなみにセルフ・スターターなどというものは付いていない。あまりキックをすると点火プラグを濡らしてしまうので、しばらく待つことになる。タバコを喫っていた頃はまだ、間が持てて良かったのだが、喫煙を止めてからというもの、こういう事態にはまことにじれったくてたまらなくなるものである。大抵20分ぐらいしてキックするとまた起動する。
函館のフェリーターミナルに着いて、さっそく乗船手続き。今回もすぐに乗船することが出来た。運がいい。とはいうものの、ひどい雨である。おまけに風も強いので、津軽海峡はものすごい荒れようであった。船でこんなに揺れたのは初めての経験だった。
下北半島の大間港に着いても、雨脚は衰えることはなかった。こうなったら、ただひたすら走るだけだ。寒くてガタガタ震えながらの走行である。雨粒で前もよく見えない。おまけにどんどん暗くなって来る。途中の街でまたまたエンジン・ストップ。どっかこの辺の宿屋にでも泊まろうかな、などと弱気になってしまう。
往路で使った小川原湖のキャンプ場に着いた時には日はとっぷりと暮れていた。管理人室に飛び込んだら、バンガローが空いてるよと薦めてくれた。おまけに毛布も貸してもらえた。なんとこの日は夕食も食べる元気も無く、毛布にくるまったとたん、泥のように眠ってしまい、気が付いたら朝だった。雨は上がって鳥の声で目が覚めたのだった。
第16日
昨日の土砂降りが嘘のようにさわやかに晴れ上がった日である。まだ路面は濡れているが気分爽快、走りも軽快である。今回の旅で時間があったら八戸の友人宅に寄る予定ではあったが、今日はなんとしても瀬峰まで進んで、明日には仙台に着かなくてはならない。八戸に入ってその旨電話で伝えた。なんと、後日分かったことだが、この電話した場所はその友人宅のほんの目の前であった。以前盛岡に住んでいて、「東北第二回ツーリング」で一緒に早池峰山に登った元会社の同僚である。
本日は往路とは趣向を変えて国道4号線を使うことにした。思いのほか空いていて快適に走れるのにはびっくりした。とにかく本日もたたひたすら走るだけの一日であった。瀬峰の実家に着いて、またぐっすり眠った。
第17日
瀬峰から仙台へほんの一走りである。これで今回の旅も無事終了となった。いや、無事というわけでもないな。途中で蜂に刺されたのは自然に直ったけど、まだジンマシンが残っていたので、病院に飛び込んで注射を一本打ってもらってようやく安心したわけである。
例によって、今回も全走行距離不明。費用も不明である。
1999年5月23日記