碁石海岸 兄弟二人旅

1988年8月

元々は弟が先にバイクに興味を持ち、運転免許は同時に取得したのでした。その後、二人での日帰りツーリングは何度もしていましたが、泊まりがけのツーリングをしたのは、これが最初で最後でした。

1988年の夏、仙台で一人暮らしをしていたのですが、お盆の為に規制したところ、弟がオフロードバイクを買ったので、一緒にツーリングに行くことになりました。

テント・寝袋・炊事用具は常に僕の愛車スズキDR250Sに積んでいたので、弟は着替えだけ持てばいいので、すぐに出発することになりました。

まずは、岩手県の三陸にある碁石海岸を目指します。

自然に身についた観天望気の技でにわか雨が接近しているのを察知した僕は、道路脇の共同米集積所に飛び込ました。弟はなぜ?と聴きましたが、すぐに土砂降りの雨になり、他のバイク達も集まって来て、一杯になりました。

そんな訳で碁石海岸に着いたのは予定よりも遅くなり、急いでテントを張り、夕食を作って食べました。

そこで、衝撃の事実に遭遇!

なんと僕が持っていたトランジスタラジオでは受信出来ないのに、弟が持っていたソニーのラジオではとてもクリアに受信出来たのです。三陸海岸という電波状態の悪い場所にも関わらず、圧倒的な性能差に愕然としてしまいました。弟はソニーに納品している高性能コンデンサを作っていたのです。

写真は、翌朝の朝食の場面。

碁石海岸を散歩。リアス式海岸の入り組んだ岸壁。

実は、ここ碁石海岸には学生時代の合宿で民宿に一週間滞在したことがありました。二十歳でした。

弟、このとき32歳。

碁石海岸の灯台。

弟の新車はヤマハのセロー225。初期モデルです。

僕のスズキと比べると、細かな造り、部品、塗装、すべてがしっかりしていて、うらやましく思いました。

弟はブーツもオフロード用に新調しました。

でも、ヘルメットはまだオンロード用のフルフェイス型です。

遠野の駅前広場で。

遠野の南部曲り家千葉家。

子供の頃、母屋の改築の為、一時期牛と同じ建物に住んだことがありましたから、ここと一緒ですね。

この後、小岩井農場に寄ったりして、夕方にキャンプ場を発見。この日はカレーライスを作って食べた記憶があります。

写真は翌朝の朝食風景。

雫石を通って秋田県に抜けました。

僕はもちろんジェット型のヘルメットです。

田沢湖で実家に電話を入れたら、市川に居る妹が帰ってきたとのこと。

急遽、予定を切り上げて戻ることにしました。

この写真。どうやって撮ったか解りますか。

栗駒の麓の林道を駆け抜けて来ました。

帰宅して妹に再会。隣は母。その前にいるのが弟の長男(現在45歳)。さらにペルシア猫を抱いているのは、その猫に育てられた弟の長女(現在二児の母)。この猫は元は妹が市川で飼っていたのを僕と母が連れてきたのでした。

この翌年昭和が終わり平成となり、僕は仙台から横浜へ移住。

弟はしばらくして、インドネシアの工場立ち上げの為3年ほど単身赴任。

2011年春の東日本大震災の時に弟は55歳で逝去。

2025年7月27日 記